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全共闘世代≒団塊世代   

【1】全共闘運動とは何だったのか?

全共闘体験      長谷川 宏(哲学者)

 人はだれでも、ふりかえって、かけがえのない体験といえるものが、いくつかあると思う。

 わたしの場合、文句なく指を屈することのできるのが、全共闘運動(東大闘争)の体験である。いまの塾稼業も大学を離れての哲学研究も、この体験なくしてはありえなかったから、未知の相手に自分の現在を語ろうとすると、話はきまって三十年前のバリケード闘争に及ぶ。

 ただし、いうところの全共闘世代にはわたしは属さない。闘争に参加したのが二十八歳、オーバードクターの身だったから、全共闘世代より五、六年は上に当たる。この差は大きい。闘争に深入りはしたものの、どこかにさめた意識があり、教官や学生の動きをも、自分の心の動きをも、やや客観的に見ることができていたように思う。

 一年余のストライキ闘争のなかには、集会、デモ行進、ピケット、大衆団交、立て看作り、ビラ撤き、街頭カンパ、等々、多種多様な行動がふくまれていたが、いま、なにより印象強く思いおこされるのは、会議における息づまるような討論のおもしろさである。

 会議の名は文学部闘争委員会。

 時に応じて開かれるこの会議では、彼我の勢力関係はどうか、なにが中心の問題か、なにをなすべきか、可能な行動形態はなにか、といった点をめぐって各自が自由に思うところを述べるのだったが、さまざまに対立する提案や見解の背後に、発言者の個性や思想性が浮かびあがるようになって、討論は、内奥の思いのぶつかりあう、ことばのドラマの観を呈するに至った。

 自分の責任においておのれの思いを真率に表現し、その一方、他人の発言に誠実に耳傾け、正確にその真意を理解しようとする姿勢が会議の参加者にあったからこそ、ことばのドラマはなりたったのだ。闘争の緊迫感がことばに張りをあたえ、ときにはげしく、ときに静かに、ことばのドラマは進行していった。

 が、ことばの緊張とは裏腹に、会議の場にいるわたしたちの心はしだいにやわらいでいった。共通のことばを必死の思いで求めつつ、ことばを重ねるたびに自他のちがいもまた明確に自覚され、そこに、ちがいをちがいとして認めようとする心の動きが生じる。そのようにちがいを認めることが、心のやわらぐことだったのだ。安易に他人に同調せず、意見の対立を個性や思想性のちがいとしてむしろ大切なことに思う心のかまえ。討論を重ねるなかで、わたしたちがたがいにたいしていだくに至った信頼感は、そのようにも表現できるものだった。

 それまでわたしは哲学徒としてさまざまな討論に参加してきたが、このように信頼感をはぐくむ討論に出会ったのは、目のさめる体験だった。それは、遠く、ことばへの信頼と人問への信頼に通じていた。

 バリケードなきあとも、会議というと、わたしはなにより対等な立場での意見のぷつかりあいを実現したいと願う。三十年後のいまも、そのように全共闘体験が自分のうちに生きていることをうれしく思う。

   日経新聞 99/2/19()夕刊「ブロムナード

【2】団塊世代は68年の志を再び明らかにするのだろうか?!

    

(文中の〔  〕内は文紹介者が補足するために追記したものです。また、太字も文紹介者が強調のためにそうしたものです。

             加藤周一「夕日妄語」

 ・・・・・・幼年時代の次には、短い学生時代が来る。そこに中年が続き、人生は老年期(六〇代の定年退職後)で終わる。

 ・・・・・・社会とその成員(個人)の関係、個人が社会に組み込まれてゆく過程(社会化の過程)は常に生涯を一貫し、一定の文化の中では、時期に応じた特定の型を示す。

 社会化は全面的で速く進むこともあり(幼年時代)、多面的でゆるやかに動くこともある(学生時代)。また職場で強力な集団の圧力により、限られた領域で徹底することもある(中年層)。定年退職後には、多かれ少なかれ脱社会化の傾向があらわれ、それを負の社会化とみなすこともできるだろう。・・・・・・

 幼年では家庭、中年では職場、どちらの場合にも集団の圧力は圧倒的である。したがって行動様式も相似る。子供の場合には、社会化の不十分のため、与えられた文化の受容へ向かう。中年の場合には、社会化の行き過ぎのため、大勢順応主義へ向かう。そこから大勢順応保守主義を破る個人の、市民としての、独立の精神は、容易に成立し難い。・・・・・・

 比較的集団の圧力が弱い時期は、個人の生涯に二度あり、二度だけある。それは第一に就職以前の学生時代、第二に就職以後の老年期である。圧力が弱ければそれを破って自由にものを考える可能性も大きい。一九六八年の学生は、単なる「暴徒」ではなかった。彼らは「考えた」からである。もちろんそこにも大勢順応主義はあり、考えの未熟と誤りもあった。しかし同時に批判精神も、社会を変えようとする意志もあった。中年の保守主義者の中には、今も昔も個人の考えを捨てない人々があり、職場では発言せず、定年退職後に、その考えを明らかにする。もちろん退職後の発言の影響力は小さい。しかしゼロではない。批判精神の活性化はそこから始まる他はないだろう。

 ・・・・・・人生の三期〔(幼年時代をいわば前奏曲として、その後の学生時代・中年・老年期の三期)〕のなかで、中年層の保守主義は、女性の場合、男性の揚合ほどには徹底していないかもしれない。学生と老人と女性、もし何かが変わるとすれば、そこから変わりはじめるのかもしれない・・・・・・。(評論家)

          朝日新聞 06/2/22()夕刊

【3】団塊世代の奇妙な沈黙

「全歌集」刊行 道浦母都子さんに聞く

 70年代の「全共闘世代」の青春を歌い、人気を得た歌集『無援の抒情』(80年)から25年、さらに歌人生活40年を記念して『道浦母都子全歌集』が河出書房新社から刊行された。またこのほど東京で開かれた「全歌集を祝う会」には、歌人ばかりでなく作家の津島佑子さん、立松和平さん、吉岡忍さん、歌詞を書いた歌手の都はるみさんら「団塊の世代」がかけつけた。戦後生まれの女性歌人の先頭を走ってきた道浦母都子さんに、短歌にかける新たな決意を聞いた。【酒井佐忠】

 <ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳(す)かして君に逢いゆく><明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし>。政治と愛の季節に、道浦さん自身も強くかかわり、学園紛争の中で展開されるドラマチックな青春群像を歌った『無援の抒情』は、歌壇以外の人たちをも魅惑した鮮烈なデビュー歌集だった。

 「青春の総括として、自分だけのために出した最初はわずか500部の歌集でした。歌をやめるか引き受けるか。あの時代の青春を生きていてよかったと思える生き方をしようと、歌を続けてきました。あの歌集のレッテルが私には重かったが、いまやっと自由に、自縛から放たれた気がします。」

 学園紛争以後、社会体制の大きな変化を経験し、道浦さんの歌も転換期を迎えざるを得なかった。それが第4集の『風の婚』。<人のよろこび我がよろこびとするこころ郁子(むべ)の花咲く頃(ころ)に戻り来(く)>などが代表歌となった。「それまでの社会的存在というより一人の普通の女性としての私の苦しみや悩み、結婚と別れなどを自分に正直に歌ったのです」。そして近年の『青みぞれ』は、波乱の多い彼女の生を支えた母の看取りの歌が中心だった。

 47年、和歌山市の生まれ。大阪と東京で青春期を過こした。19歳で新聞歌壇に投稿し、24歳のとき近藤芳美さんを頼り歌誌『未来』に入会した。戦後60年をほぼ同時代的に生き、それぞれの時代に沈潜する空気と自らとの違和を、平明ながら潤いのある文体で表現した集成が『全歌集』。・・・・・・

 「青春や老年期に比べると長い中年期は短歌は作りにくい。この二、三年、体調も悪く随分苦しみましたが、ここで、もう一度仕切り直し」と言う。社会ばかりでなく歌を取り巻く状況も詩の言葉も限りなく変化するが「主義や思想のない混迷の現在に、自立的に生きることができたのは、短歌のおかげ。歌は思考の回路であり、精神の支柱。これからはもっと自然に、感動したものを自由に、おおらかに歌いたい」と道浦さん。

 「祝う会」は各分野で活躍する「団塊の世代」が集合した感じで盛り上がった。「あの世代の人たちの奇妙な沈黙が続いています。いまの社会がこのままでいいはずはありません。リタイアなどといわずに、それぞれの分野でもう一度、再出発をしてほしい」とエールを送っていた。

    毎日新聞 05/5/17()夕刊

【4】団塊!それでいいのか?!

(文中の太字は、文紹介者が強調のためにそうしたものです。)

                        

          吉田 司(ノンフィクション・ライター)

 私はよく団塊世代と間違えられるが、一九四五年生まれだから、彼らより少し上だ。しかし「団塊=全共闘」という図式を導入するならば、私は彼らの先駆けとも言える。全学共闘会議とは、私の理解では、そもそも学級クラスに限らず、愛好家サークルやクラブ活動にも「スト権の一票」を認めて決議しようという、当時の学園ストの新しい方式のことだった。そのスタイルで戦われた初期の学園闘争が、六六年の早稲田の学費値上げ反対ストライキで、私はそのとき、文学部二年だった。

 机を高く積み上げてバリケードを作り、万余を超えるノンポリのデモの波で、大隈講堂の広場は埋め尽くされた。夜はキャンパスにかがり火をたき、右翼・体育会のスト破りに対抗して、構内防衛隊を結成した。その体育会とのゲバ棒決戦で、相撲部がふるう丸太に頭をたたき割られて、失神。血だらけで病院に担ぎ込まれ、七針縫った。それから二年、全共闘システムが一般化して、あの日大や東大の「大学解体」闘争へと発展していったのである。

 それにしても、今、都内の百貨店を歩くと、やれ年金だ、セカンド・ライフだと、定年間近の、団塊向け大消費ブームがあおられている。ちょっと団塊!お前ら、それでいいのかと思うよね。人生、やっぱお金じゃないだろ、と。

    朝日新聞 05/6/28()夕刊「こころの風景」 

 

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