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縄文社会にはなかった戦争を抑止するには

~以下、書評「人はなぜ戦うのか(松木武彦 著)」(左近司祥子 評)<毎日新聞(01.6.24)>より~

注:・・・・・は省略部分。〔 〕は補足部分。太字は引用者が強調のためにそうしました。

 ・・・・・考古資料から判断するかぎり、縄文社会には戦争は行なわれなかった・・・・・。もちろん、・・・・・「戦争」は「戦い」と同義ではない。「戦いにまつわる思考や宗教がすでに十分に社会に定着している」という限定句づきで、「戦い」は「戦争」になる。これは、考古学的に言えば、「武器」「守りの施設」「武器を備えた墓」「武器崇拝」「戦いをあらわした芸術作品」の出土が条件となる・・・・・。戦争はその指導者が勝手に決めて行うものではない・・・・・。指導者は、群れの多くの人の、利益への期待を担って、戦争の指導者となったのである。・・・・・戦争は、本能ではなく、一人一人の利益追求の意志によるのだから、抑止が可能だ・・・・・。物質面での抑止は資源・環境・生態の保護により可能と思われるが、残る非物質面での抑止が問題である。非物質的利益というのは、社会が戦争に関して生み出す思想に基づいているのである。そしてその根底にあるのは、ナショナリズムとか宗教とかに裏打ちされた自分の群れだけを特別とする差別の思想なのだ。・・・・・最近個々人が持ち始めた価値の多様化意識に戦争の抑止力〔がある〕。・・・・・。

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