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米原万里さんを偲ぶ

昨年(06年)5月25日に亡くなった米原万里さんの「幻の処女作」(現代書館/86年7月刊)といわれてきた『マイナス50℃の世界』が、加筆修正されるとともに、写真家・山本皓一さんの現地カラー写真を新たに加えて、最近(07.01)、清流出版より再刊された。あらためて、米原さんが偲ばれる。『マイナス50℃の世界』表紙写真 

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米原さんを悼む

 エリツィン・ソ連共産党中央委員に会う直前、不安になった。「通貨ルーブルの交換性をどう回復するか」というテーマは先方に伝わってない。ぷっつけインタビュー。上手な通訳が付いてくれるのだろうか。

 難解な用語、詳細な数字を眉(まゆ)一つ動かさずに通訳していく女性。それが米原万里さんだった。滑らかなリズム。ソ遵経済立て直しという絶望的なテーマにもかかわらず、エリツィン氏は明らかに乗っていた。

 直後にソ連は崩壊し、エリツィン氏はロシア大統領に。米原さんは作家として羽ばたいた。チェコのソビエト学校育ちという複雑微妙な環境を背景にした作品は、ユーモアの中に、異民族間の緊張や大国に寄らざるを得ない小国の姿が織り込まれ、陰影か深い。

 後年、「異文化交流は『文明の衝突』を防ぎ得るか」というシンポジウムを企画した際、迷うことなく米原さんをパネリストとして招いた。

 彼女が亡くなって、シンポジウムの詳細をまとめた「力か対話か」(川本暗嗣編著、中央公論新社)を読み返した。

 (日本は)つねに.世界最強の国に寄り添ってそこを通してのみ世界を知ろうとする」「たった一つの言語を通して、あるいは、たった一つの国にあわせていくというやり方では、この複雑で多様な世界を知ることなんかできない」

 一辺倒はやめようよ、どの国とも対等で直接の関係をつくろうよ。米原さんの主張はまさにこれからの日本に間われる最も重要な課題だ。

 世界の広さと複雑さ、文化の多様性の語り部。道半ば、56歳にしての死を借しむ。 (論説室・渡辺 悟)

  毎日新聞 06/06/04()朝刊「発信箱」

 (文中の太字は文引用者が強調のためにそうしたものです。)

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