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三池闘争・三池炭鉱炭じん爆発事故

(1)1959年 12月11日に(三井鉱山株式)会社は1278名を指名解雇→三池炭鉱労働組合(三池労組)<組合員1万6千人>の激しい反対運動→1960年 1月25日に会社はロックアウト断行→三池労組<スローガンは「団結・抵抗・統一」By_miku_amis_qui_creusent_du_charbo :右写真〔♪炭掘る仲間より〕(クリックで拡大)>は無期限ストに突入→3月7日に第2組合結成(当初組合員3千人、闘争が長引き生活苦が増していく中で労働者の半数が第2組合に入っていった)→会社は生産再開へ動き、三池労組と会社・第2組合との対立が先鋭化→3月25日に殴りこんできた暴力団員に三池労組組合員が刺し殺される 3月28日に坑内に入ろうとする第2組合員とそれを阻止しようとする三池労組が激突し、双方に140人の負傷者が出る→九州・中国・近畿の警官が三池炭鉱がある大牟田・荒尾両市に集結→三池労組と警察隊が再三にわたって激突し流血 海上から坑内に入ろうとする第2組合員とそれを阻止しようとする三池労組が海上で激突   この(1)の記録映像

(2)7月7日に石炭を出荷まで貯めておく貯炭場であるホッパーへの組合員立ち入り禁止の仮処分を福岡地裁が下す→福岡県警はホッパーを占拠している三池労組組合員と全国から結集した支援労働者を排除するため警官隊を差し向けた→ホッパー周辺で1万人の警察隊と2万5千人の労働者が対峙、自衛隊の出動も検討された内乱寸前の一触即発の状態となった(ホッパー決戦へ)→流血の惨事を恐れた日本炭鉱労働組合(炭労 : 全国の石炭産業の労働組合)と会社は中央労働委員会に事態の解決を一任→8月10日に中央労働委員会は斡旋案を発表(その内容 : 会社は指名解雇を取り消す代わりに、整理期間の終了を待って、指名解雇された労働者は自然に退職したものとみなす)→斡旋案は組合側に圧倒的に不利なものであったが、もはや戦う限界に達していた炭労も総評も斡旋案受諾を決めた→11月11日に三池労組は無期限ストを解除<三池闘争は組合側の敗北に終わった>

(3)三池闘争に敗北した組合の弱体化による労働環境悪化や会社の安全管理サボタージュ→1963年11月9日に、三池炭鉱三川坑で炭じん爆発が発生し、458人の死者と一酸化炭素中毒患者839人を出すという戦後最悪の事故が起こった(三池炭鉱炭じん爆発事故)<炭じん爆発とは石炭の採掘の際に発生する石炭のちりが坑内に充満している時に、何らかの原因(この場合はトロッコの脱線)で火花などが発生して爆発することである。防止策としては坑内の掃除や散水で十分であったが、それすら行なわれていなかった。>

(4)三池闘争に学んだ、組合の弱体化がどういう事態を引き起こすかという警告は、「国鉄の分割民営化=国鉄労働組合(国労)の弱体化」の際に発せられた→しかし、その警告は無視された→JR福知山線脱線事故という未曾有の大惨事がおこった。

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