« 高齢化社会の悲観論を排す | トップページ | ハゲワシと少女 »

歴史上の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン          

(第1):第1ヴァイオリン (第2):第2ヴァイオリン

<日本史上>

(第1)坂本竜馬(第2)中岡慎太郎

   Wikipediaには「薩長連合、薩土密約、大政奉還等は、坂本龍馬が中心に描かれたテレビドラマや小説が多いが、その発想や行動において真の立役者は本当はどちらであったかは議論が分かれるところである。実際は、中岡であったという歴史家の意見もある。」となっていますが、「歴史上の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン」を示そうとすれば、テレビドラマや小説が歴史的人物の評価を大きく左右する今の日本では、中岡慎太郎を第2ヴァイオリンとせざるを得ません。

(第1)豊臣秀吉(第2)豊臣秀長

   秀吉の弟である豊臣秀長は、テレビドラマや小説が歴史的人物の評価を大きく左右する今の日本では正当に評価されていませんが、Wikipediaを読んでもわかるようにあきらかに第2ヴァイオリンの大役を担っています。第1ヴァイオリンが暴走したとき(朝鮮出兵)は、第2ヴァイオリンはそれをとめなければなりません。だが、秀長は朝鮮出兵開始(1592年)の前年に満50歳で亡くなっており、それをとめることはできませんでした。判断力にすぐれた秀長が生きていれば必ずや朝鮮出兵をやめさせた、やめさせることはできなくても早期撤兵させたといわれています。そうなっていれば、朝鮮出兵を原因とする豊臣政権の崩壊はなく、その後の豊臣家の滅亡はなく、秀吉が進めた太閤検地(荘園制度の完全消滅)や刀狩(兵農分離による支配者の軍事力独占)などの政策により形成されてきた国内統治システムが確立して、聡明な若き第3ヴァイオリンたる豊臣秀頼を初代将軍とする豊臣幕藩体制が成立していました。しかし、第2ヴァイオリンたる秀長が兄より早く亡くなるという不運に見舞われたため、その後、秀吉の政策により形成されてきていた国内統治システムを継承して徳川幕藩体制が成立していきました。

<世界史上>

(第1)ゴルバチョフ(第2)シェワルナゼ

   ゴルバチョフはシェワルナゼに支えられて、アフガニスタンからのソ連軍の撤退、冷戦の終結、東欧の民主化、ドイツ統一、核兵器削減の進展などを実現しました。

(第1)カストロ(第2)チェ=ゲバラ

   カストロはチェ=ゲバラに支えられてキューバ革命をなしました。

(第1)毛沢東(第2)周恩来

   毛沢東は周恩来に支えられて中国革命をなしました。第1ヴァイオリンが暴走したとき(大躍進政策・文化大革命)は、第2ヴァイオリンはそれをとめなければなりません。周恩来は毛沢東の暴走をとめることはできませんでしたが、それによる被害・犠牲を出来うる限り少なくせんと努力しました。その努力がなければ毛沢東の暴走による被害・犠牲はもっと拡大していました(周恩来の家族は文化大革命の犠牲になりました。彼自身も犠牲になる危険があり、それを回避しながら言動する必要がありました。命が惜しくてそうしたのではありません。彼がいなくては毛沢東の暴走を抑えるものが誰もいなくなるからでした)。毛沢東の功罪は相半ばします。中国革命を彼の功とするならば、大躍進政策・文化大革命で犠牲者を数千万人も出したことは彼の罪です。ただ、中国革命で植民地支配・封建制度を完全消滅させていなければ、その後の中国で、大躍進政策・文化大革命での犠牲者以上の犠牲者を出していたかもしれません。52:48ぐらいの割合で毛沢東の功が罪よりもやや上回っているとすれば、それはひとえに第2ヴァイオリンたる周恩来の功績に帰せられます。そして、第1ヴァイオリンに事あれば(毛沢東は72年のニクソン訪中、田中首相訪中による日中国交樹立以後に病状悪化で的確な方針を示せなくなった)、第2ヴァイオリンがその穴埋めをしなければなりません。周恩来は、国防・農業・工業・科学技術の四分野の革新を目指す「四つの現代化」という中国の国家計画を示すことで第2ヴァイオリンたる役割を果たし、翌年(76年1月)に亡くなりました。毛沢東もあとを追うようにその8ヵ月後亡くなりにました。第1・第2ヴァイオリンなきあと、第3ヴァイオリンたる鄧小平が周恩来の示した国家計画を継承、発展させて「改革・開放」を展開、中国の経済・軍事大国化への道を切り開いていったのです。     

(第1)ローザ=ルクセンブルク(第2)カール=リープクネヒト

   第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとは調和しなければよい音色はでません。その例が、この2人です。ルクセンブルクが反対したにもかかわらずリープクネヒトは無謀な武装蜂起を断行し、両者は殺害され、ドイツ革命は失敗に終わりました。第2ヴァイオリンが暴走してしまったのです。

(第1)レーニン(第2)トロツキー

   レーニンはトロツキーに支えられてロシア革命をなしました。第1ヴァイオリンに事あれば(革命数年後の早すぎるレーニンの満53歳での死)、第2ヴァイオリンがその穴埋めをしなければなりません。しかし、悪質な第3ヴァイオリンたるスターリンが第2ヴァイオリンを破壊したため、ロシア革命は腐朽しました。第2ヴァイオリンたるトロツキーが悪質な第3ヴァイオリンを排除し第1ヴァイオリンの穴埋めをしていれば、ロシア革命から74年後のソ連崩壊は、あるいはなかったかもしれないのです。

(第1)マルクス(第2)エンゲルス

   第1ヴァイオリンに事あれば(『資本論』の未完成のままでのマルクスの満64歳での死)、第2ヴァイオリンがその穴埋めをしなければなりません。

                 ~以下、Wikipediaより~

 マルクスの死後、エンゲルスは、『資本論』に関するマルクスの遺稿の編集、それまでのマルクスとエンゲルス自身の著作の諸言語への翻訳に尽力した。当時の諸情勢と全世界の労働運動における自らの位置とを考慮し、エンゲルスは的確にもマルクスの主著『資本論』の完成をマルクス亡き後の自らの最重要課題と位置付けた。実際、マルクスの主著『資本論』の第2巻および第3巻の刊行は、エンゲルスの知力と実務力なしには為しえなかった。遺稿は、膨大な量にのぼり(一説では数m³にのぼったともいわれる)、その筆跡は解読が難しいもので、しかもその内容は著作としての完全な筋道を為していない部分が多かった。内容の難しさのみならず、原稿が未完成であったことも、編集を困難にした。エンゲルスは、これらマルクスの遺稿の編集を、晩年の視力の衰えと闘い、全世界の労働運動の助言者としての激務の合間を縫いながら進めた。長く困難な数年にわたる編集作業の末、『資本論』第2巻は1885年に、第3巻は1894年に刊行、マルクスの「遺産」を世に送り出した。 ~引用終わり~

 このように、第2ヴァイオリンたるエンゲルスがいなければマルクスの書き残した原稿は散逸して『資本論』はこの世にありませんでした。そして、それに立脚した経済学体系たるマルクス経済学はなく、それに依拠したマルクス主義は形成されていなかったのです(それゆえ、マルクス主義はエンゲルス主義と呼び変えても間違いではありません。が、呼び方は、やはり第2ヴァイオリンは第1ヴァイオリンに譲った方がよいかもしれません)。

« 高齢化社会の悲観論を排す | トップページ | ハゲワシと少女 »

無料ブログはココログ