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相模原障害者施設殺傷事件    

       相模原障害者施設殺傷事件<16(H28).7.26>

(1)この事件は、容疑者の手紙3部全文(衆議院議長大島理森様宛と作戦内容はここ/○○(容疑者の氏名)の実態はここに記載)を読み、彼が警察に出頭する直前にツイッターに投稿した画面.jpgを見れば、「Beautiful JAPAN(美しい国日本)、ひいては全人類をだめにするもの(邪魔なもの/憎悪の対象とすべきもの)の排除を総理大臣に求める」ヘイトクライム(民族・障害・思想などに係る特定の属性を有する個人や集団に対する偏見や憎悪に基づく暴行等の犯罪行為)です。容疑者の手紙を断片的にではなく、全文を読めばそのことがわかります。この事件を、理解を超えた許しがたい凶悪犯罪で終わらせてはなりません。かかる未曾有の、総理大臣に期待するヘイトクライムが引き起こされた背景(原因)が問題とされねばなりません(なぜ容疑者は総理大臣に期待しているのかを考えることが重要です。総理大臣への期待を単に容25疑者の誇大妄想や勝手な思い込みなどで終わらせてはなりません)。容疑者は、「美しい国、日本」を唱える総理大臣(→右写真<クリックで拡大>ご参照)なら、「(障害者がいないがゆえに)美しい国、日本」を造ってくれると期待して凶行に及んだともいわれています。

(2)この事件の背景(原因)は、「新自由主義的な人間観」が現在の日本を覆いつつあることだとの見解があります(ご参照.pdf)。

   ※新自由主義的な人間観 : もともと自由主義とは自由に競争できることが経済を発展させるというものであったが、新自由主義とは、より熾烈な競争でなければ経済を活性化させて利潤を拡大することはできないとするもので、そのような経済体制の下で、求められるのは労働力の担い手としての経済的な価値や能力のより高い人間であり、かかる価値や能力に応じて人間は序列化され、序列の最高層に入ることができた「勝者」「強者」のみが報われる社会(上層1%の人間が富を独占するような社会)が形成される。かかる「勝者」「強者」のみが報われるに値する存在だとするのが新自由主義的な人間観である。この人間観は、当然、序列の下方層は存在に値せずという人間観を伴い、かかる人間観は、現在底辺層にあるもの、または将来底辺層に属することが予想されるものは抹殺されるべきだとの優性思想に行き着く。

   現在の日本では、新自由主義的な人間観を説く経営者がもてはやされています。その一例。能力のないものは年収100万円も仕方ない(=のたれ死んでも仕方ない)との驚愕すべき人間観は、優性思想まであと一歩です。

   「新自由主義的な人間観」が覆っていることは、言い換えると「他者をあるがまま承認する価値観」が奪われていることです(ご参照.pdf)。

   「新自由主義的な人間観」が覆っている(「他者をあるがまま承認する価値観」が奪われている)中で、卑劣な政治家が、(障害者を見て)「ああいう人って人格があるのかね」とか(高齢者問題に触れ)「いつまで生きるつもりだよ」などと堂々と発言しても失脚することはありません(ご参照)。  

(3)この事件で犠牲になった方々への事件発生翌々日の献花が犠牲者の数の割には極端に少なすぎるとの指摘があります(ご参照.jpg)。事件現場は遠隔地だから、事件現場に行けば大勢のマスコミに取材されるから、という説明がなされていますが、それだけの理由ならよいのですが・・・・・。

(4)ヘイトスピーチが引き起こされ、それに喝采する人々が少なくない中で、この事件は起こりました。

 ①ネトウヨと呼ばれる人々(=ヘイトスピーチに喝采する人々)が意見を出し合う場で出されたこの事件について意見 : ここミラーから抜粋⇒ちゃんと殺してあげないからかわいそう /まさか、コロされかけるとあーうーがまともになるとか?/独りで生きていけない生物だけが手厚く保護される世界ってのも確かにおかしな世界ではある/(左の意見を受けて)自然界では真っ先に淘汰されるのにね/助けて! あ、いけね、アーウーアーウー/さっさと障害者を安楽死させれる法律作れよ/しねば助かったのに /マジで安楽死させれる法律を作ってあげようよ。安楽死できないのは障害者本人が一番かわいそう/出生前で判別できるようにして間引きするしかねえわな /(助かった障害者は)カウンセリングできるぐらい頭はまともなのか。殺害者はこいつらやる必要なかったんじゃ/(助かった障害者の)家族はがっかり、まだ地獄が続くのかーーー などなど、優性政策につながる容疑者の凶行・主張に共鳴する意見が多数出されている。日本はすでに、こんな意見が平気で出される状況になっている(すでに、少なくない人々が優性思想に侵されている)。

 ②全国91の障害者団体でつくるDPI(障害者インターナショナル)日本会議は27日、「(障害者なんていなくなればいい、との容疑者の発言が)事実だとすると、障害者を『あってはならない存在』とする優生思想に基づく行為。強い怒りと深い悲しみを込めて断固として優生思想と闘っていく」とする声明を出した。「マイノリティーに対するヘイトスピーチが引き起こされる中で、今回の事件が起きたことを看過してはならない」とも主張した。日本障害者協議会の藤井克徳代表は昨年から3回ドイツを訪問し、ナチス政権下の障害者虐殺について調べている。視覚障害がある藤井氏は「『価値なき生命の抹殺の容認』と呼ばれるナチスの作戦と重なってくる発言だ。事実なら許されない」と述べた。<朝日新聞 16(H28).7.27(太字は引用者による)>

(5)16(H28)年7月に引き起こされた4つの「テロ」

(6)タモリさんは、この事件の背景(原因)となった「新自由主義的な人間観」(能力の無い・低い者、使い物にならない・なりそうにない者、やる気の無い・出そうとしない者、頑張ろうとしない・頑張れない者はのたれ死ね)の拡大に、かねてより危うさを感じていたので、「やる気のある者は去れ」に代表される、このような「タモリの名言」を発していたのではないでしょうか。「タモリの名言」は、もてはやされている経営者の新自由主義的な人間観に対抗しています。

(7)今回の事件では、犠牲者は41~67歳の男性9人、19~70歳の女性10人と公表されているだけです。神奈川県警によると遺族全員が公表を強く拒んでいるといいます。名前を出さないのは障害者への配慮じゃなくて、周囲の都合です。その都合とは、障害者の名前が分かるとなんらかの圧迫(差別・侮蔑など)を受けるということです。本来は、障害者が堂々と名前を出せる社会にならないといけないのですが、今回の事件の背景には、そういう社会の在り方があります。名前が出せないということは社会的には存在しないということで、社会的動物である人間が社会的には存在しないということは、生物学的にのみ存在しているということであり、そんな人間は存在するに値しないということになります。こうして容疑者は、「存在するに値しない=無駄・邪魔なもの」を消し去っただけということになります。今回の事件において、真に断罪されるべきは、「障害者が堂々と名前を出すことができない社会」です。ここでも、「能力のない者・低い者=存在するに値しない者=無駄・邪魔な者」という人間観を持つ者が日本の政治・経済を動かしていることがこの事件の背景のあることが浮かび上がっています。能力があるない、能力が高い低い、そんなことは関係なく、みんながありのままで人間として尊重されて生きていける社会をつくっていくことが求められています。

(8)相模原障害者施設殺傷事件の犯人の気持ちがわかるという暴言を吐くような人物ミラーが、75年には落選した都知事選挙に99年は当選し、その後は都知事を4期も務めてもてはやされされるようになった風潮が、この事件の背景にあります。

 

 

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