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日本国憲法は、人類の歩むべき道の道標  

  この記事は、18 諸課題自治体行政にも影響与える国政問題憲法・改憲阻止に所収されています。  

 「国家=統治支配(=抑圧)機構=権力」の最大の属性は「抑圧」です。その「抑圧」を抑制できるのは、基本的人権(人間は生まれながらにして「自由・平等=いかなる抑圧もなく生き続けることが可能」であること)は保障されなければならない(属性が抑圧である権力は常に基本的人権を侵害する恐れがあるもので、その恐れが現実化しないように絶えず権力を監視し、もし、それが基本的人権を侵害した場合は、主権在民に基づいてそれは「規制=抑圧」されねばならない)ことを明文化したのが憲法です。 

 残念ながら、日本国憲法は、「健康で文化的な最低限度の生活」を破壊しない限りという制限内ではありますが「経済的な不平等」は公認しています。しかし、それ以外の政治的・社会的・文化的な自由・平等は完全に保障されなければならないとしています。にもかかわらず、現実には、(経済的不平等以外の)基本的人権(自由・平等)は完全には保障されていません。パワハラ・セクハラ・いじめ・体罰・リストラ・貧困・非正規雇用・差別・ヘイト・(政治家等の)暴言・低賃金・過労死・・・等々。

 このように、基本的人権侵害行為が横行しています。ほとんど野放し状態です。今やらなけばならないのは、(経済的不平等以外の)基本的人権の完全保障の実現(=現憲法の完全実施)です。しかし、あろうことか現憲法が完全に実施されてもいないのに、「政府与党=権力行使主体」は改憲を断行せんとしています。改憲は、憲法を完全実施したのちに、不十分な点があれば、それを正すために行うものです。憲法が完全に実施されてもいないのに、つまり、その不十分な点が明らかになる前に改憲するというのは、壊憲、つまり権力に都合の良いように憲法を改悪するものです。なお、憲法完全実施前に改憲を主張するのは、それが善意のものであっても、改憲機運を高めるために権力の側に利用されることになる(利敵行為となる)ので絶対にしてはなりません 。

 戦争は、最大の基本的人権侵害行為です。 だから日本国憲法は、「国際紛争を解決する手段」としての「国権の発動たる戦争(=先制攻撃や他国に出かけて行っての戦争)」と「(先制的な、あるいは、他国に出かけて行っての)武力による威嚇又は武力の行使」、および、それらを実行する「陸海空軍その他の戦力 」の「保持」と「国の交戦権 」を禁止しています。一方で、日本国憲法は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 」としており、国民の基本的人権を侵害する侵略に抗する自衛戦争は禁止していません(が、自衛戦争といえども国民に多大な損害をもたらすので、あくまでも平和的、つまり外交的手段での防衛に徹した方が賢明だし、それは可能です<日本が武力行使(戦争)せずに国を守る道ご参照 >)。その為、自衛隊が先制攻撃やその準備をしない、あるいは、他国に出かけていかない、文字通り自衛のための軍隊(=警察力だけでは国民の基本的人権を守れない場合のために軍事力を保持・行使する組織・機関)である限りにおいては自衛隊は違憲ではありません(自衛隊は警察予備隊という以前の名称に戻った方が良いでしょう)。しかし、自衛隊は、2015年9月に制定された戦争法で、他国に出かけて行っての戦争や武力の行使を行う違憲の軍隊に変質させられました。その違憲となった自衛隊を日本国憲法に明記するとの改憲は、憲法9条を骨抜き・形骸化(=事実上の抹殺)するもので、かかる改憲を阻止するのは、現憲法の完全実施のために絶対にやらなければならないことです。

 それもやり遂げ、現憲法の完全実施が実現できれば(何年かかるかは今のところ予測できない)、いよいよ、経済的不平等を解消して経済的平等の実現に歩を進める段階となります。その歩を進めるために、ここで初めて憲法改正の必要が生じます。これは大変な変革です。しかし、現憲法の完全実施を実現する取り組みを進めることで強化されてきた国民主権力は、現憲法の完全実施が実現した段階では、現憲法を経済的平等を含んだ完全な自由・平等を保障する憲法に改正できるだけのものになっているでしょう。

 かかる憲法改正(=新日本国憲法制定いう大変革)ののち、新日本国憲法に立脚する国家では、経済的平等の実現に抵抗する要素があれば、それは違憲ということで「抑圧」されることになります。抑圧というと言葉はきついですが、これを穏やかに行う努力が成功には大切です。かかる努力が続けられる中で、抑圧の必要は減少していき、それに伴って、「抑圧」を最大の属性とする「国家=統治支配(=抑圧)機構=権力」 はその歴史的使命を終えていきます(日本では、国家の誕生は弥生時代)。

 以上のような日本がたどった道、すなわち、日本国憲法の下での(経済的不平等以外の)基本的人権(自由・平等)の完全保障の実現、新日本国憲法の下での(経済的平等を含んだ)完全な基本的人権(自由・平等)の保障の実現、それに伴う国家の役割減少による歴史的使命の終焉、このような道を日本に続いて他国も歩んで行けば、やがてすべての国で国家が終焉し、「国境なき世界」(地球上のすべての人が「完全に自由・平等な=少しの抑圧も受けない」世界)が訪れることになります。

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