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現代用語<あいうえお順>

皇国史観

国家主義(全体主義)・・・個人の自主性を否定して国家全体に奉仕させるよう国民を束ねて統治すること

思考する」「思考停止思考しない思考できない)」

 「思考する」とは、「感得・認識・考察・判断して表現すること」である。「思考停止(思考しない/思考できない)」とは、「感得・認識・考察・判断して表現すること」を停止する、しない、できない、ことである。

 感得・認識・考察・判断して表現する」 とは、今日の晩御飯は何にしようか、などと感情や情緒などによって単に思ってそれを口に出したりやってしまうではなく、知性を働かせて(科学的に=実証性・論理性・客観性・体系性を重視して)物事・世界を認識・考察・判断し、より良き社会や争いのない世界の実現等(=すべての人の基本的人権の実現は何をどうすべきかを自分で考え表現(言論・実践)することで、「精査し実践する」と言い換えることもできる。「思考停止」とはそれをしないことで、人間に、物事・世界をみるのをやめさせ、感情や情緒あるいは無気力に流れるようにさせ受け身にさせ、結果、強い者(最たるものが国家の権力)への批判精神を喪失させて、その主張<国家主義(全体主義)・排外主義>を受け入れるようになっていくこと。

  <ご参考>「我思う(考える)。ゆえに、我あり」(デカルト)・・・「我思考する。ゆえに、我存在する」を平易に言い換えた言葉です。それまで、キリスト教世界の人々は、天上の神の国こそが本当の世界であり、この地上の世界やそこに生きる人間の存在性については懐疑的でした。そのようなキリスト教的世界観・人間観に疑問をもったデカルトが、それならと、すべてのものの存在を「懐疑=思考」(精査/クリティック)して「懐疑=思考」(精査) してとことん「懐疑=思考」(精査)しました。するとすべてのものが存在しているのか疑い得ることがわかり、そして、更に「懐疑=思考」(精査) した果てにたどりついた真理は、 そのように「懐疑=思考」(精査)している我は確かに存在しているということでした 。こうしてデカルトは「思考する」人間の確実性・信頼性を再発見し、それを「我思う。ゆえに、我あり」という言葉で定立化(命題化)したのです。これまで人々は、不確実な地上世界は無価値なものとし、死んで神に召されることに価値を見出していました。今の私たちからすれば、そんなことは馬鹿げているように思いますが、それは、戦前の日本人が、天皇(現世神)のために殉じて英霊となることに価値を見出していたのと同じことです。こうして、デカルトは「我思う。ゆえに、我あり」 という命題を打ち出すことで、地上世界の「思考する人間」の「存在性(確かに存在しているということ)=信頼できる主体性」を回復し、人々は、「思考する」ことに自信と信頼性をもつことができるようになり、近代科学を発展させていくことができるようになりました。また、デカルトと同時代のパスカルも「人間は考える葦あしである」といっています。意味は、 人間は一本の葦と同じで自然界で最も弱い存在である。しかし、考える(=思考する)という最強の力を持つ偉大な存在である、ということです。このパスカルの言葉も近代科学の発達を後押しすることになりました。

   <ご参考>思考停止するとき普通の人は怪物になる/凡庸な悪

ネトウヨ・・・ネット匿名社会の形成で新しく湧き出した、反知性主義に立つことで右翼的な考えを持つようになった人々を批判的・軽蔑的に呼ぶ呼び方。パスカルが今に生きていれば言うでしょう「ネトウヨは考えない葦である」。

「反日」・・・一般的にこの語が使用される場合は、反米・反独・反英などと一緒で特殊な意味はない。しかし、ネトウヨなどの「武力行使なき内戦」において政治権力の側に立つ人々が、過去・現在の日本人・日本国家の誤りを批判する人々を攻撃する際に使用される場合は、憎悪に満ちた、特殊な意味を持ちます。つまり、その批判が不当であるとの実証的・客観的・科学的な根拠を示せないままヒステリックに(感情・情緒に流されて)憎み攻撃する(反知性主義)ためのヘイト(憎悪)用語となる。 戦前に多用された「国賊」「非国民」は「国家への反逆者だから抹殺されるべし」という恐怖を与える(テロリズム)用語だったが、その今日版である「反日」も恐怖を与える意図を含む用語であり、差別用語と同様の基本的人権侵害用語。「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた事件においては、「反日」という用語も用いての中止を迫る騒動が起こされる中で、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という恐怖を与えるファクスが主催者に届けられた。

排外主義・・・他国民・他民族 への憎悪(ヘイト)をあおり、外国人(他国民・他民族)の存在を排斥せんとする態度(思想・行動) 排外主義撲滅のために

反知性主義・・・感情・情緒に流されて「思考停止」(実証性・論理性・客観性・体系性を軽視あるいは無視して、つまり、科学的考察をしないあるいは無視)して、自分が欲するように物事・世界を理解する態度

 

ご参考:非戦・避戦の論理

 

 

 

 

 

 

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