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縁起の法   

】縁起の法の内容一言でいえば「すべてのものはつながり互いに支え合っている」という法(教え)であり、詳しくは、「仏陀の教え(仏教)」の簡潔な説明.pdfご参照

     前5世紀前後、シッダールタ(釈迦)が縁起の法を悟って仏陀になった時を描いたのが、手塚治虫「ブッダ」のこの場面 .pdf。なお、仏陀の狭義は、最初に、縁起の法、に目覚め・を悟った、シッダールタのことをいい、広義は、縁起の法、に目覚めた人・を悟った人のことをいう。  

縁起の法とは、

(1)いかに生きるべきかという法(教え=倫理・道標みちしるべ)である。

    端的にいえば、慈(他者に楽しみを与える/他者の幸せを願う)悲(他者の苦しみを取る/他者の苦しみに寄り添う)の道を歩め、という教えである。

(2)自然はかくあるという法(教え=自然法則)である・・・下記の文ご参照

  ①世界のあらゆる現象は相互に関係し、影響を及ぼし合っている。.pdf

  ②命はすべてつながりあい、影響しあっている.jpg

  ※自然法則を無視して崖から飛び降りれば自己の生命は破壊されるように、自然法則(縁起の法)を無視して乱開発をすれば生物多様性は破壊され、人間も劣化し、持続的な生存の可能性が低下していく。

)縁起の思想(縁起の法に基づく思想)<下記がその内容> を定立させる法(教え=論理)である

     縁起の思想については、レンマ学.jpgご参照   中沢新一「レンマ学」(群像)走り書きリンク

  ①これまで自然科学を進展させてきたのは「ロゴス的知性」で、これは、自分の前に集められた事物を並べて整理する知性作用で、その本質は時間軸にしたがう線形性にある。言葉がこれと同じ作用をもつので、言葉で考え表現できる。西洋では伝統的にこの知性が重要視され、理性といえばこの意味でばかり用いられてきた。 

  ②一方、「レンマ的知性」は、事物全体をまるごと直観によって把握する知性で、データ化や言葉化が難しく、その働きを実体として取り出せないので、これまでの自然科学者はロゴスに徹してきた。

  ③しかし、本来、「レンマ的知性」 こそが基本であり、理性のあり方であり、「ロゴス的知性」 はその変異体として生まれたものである。

  ④今日、量子力学などロゴス型に収まりきらない学問が生まれてきている。また、ロゴス型の知がつくり出した現代科学技術社会に問題が山積し始めており、ロゴス型の知を人間に代わっておこなう人口知能の急速な発達による暴走が危惧されるようになってきている。

  ⑤そこで、「レンマ的知性」 を用いた「レンマ学」の登場が期待されてきており、これは、現代数学や量子論、言語学、精神分析、数学、生命科学、脳科学といった人間諸科学の解体と再編成をうながしていく可能性があるが、かかる「レンマ学」基礎をなすのが「縁起の思想」である。

  ⑥その「縁起の思想」とは、すべての現象は縁起(縁りて起こる)するゆえに、固定的な実体をもつものはなく、固執する対象もないとするものである。 

(4)人間を幸福にする(幸福感=幸せポイントを高める)方法(これは、長寿の方法・秘訣でもある<下記がその内容> を定立させる法(教え=方法)である。

  ①相手を思いやって行動する。

  ②相手のありのままを受け入れる。これは、精神的健康を下げない効果がある。

  ③感謝する。このことで、感謝される側だけでなく、感謝する側もポジティブな気持ちになる。感謝の言葉をだすことは、相手の幸せを上げることにもなるし、自分の幸福感を高めることにもなる(共にポイントが入るのでダブル幸せポイント)。

  ④互いの弱さを補い合う。これにより、これにより幸福感を高め合うことができる。このことが最もたいせつ。

<(4)は、阪大院人間科学研究科の権藤恭之教授の説を参考に記述しました。>

(5)人間とはいかなる存在かという命題<下記がその内容>を定立する法(教え=哲学<物事を根本的に、物事の根本を、考える学>)である。

  〇ひとは誰かの思いの宛先であること、誰かにとってなくてはならない存在であるという事実によって、はじめておのれの存在を得る折々のことば 530.pdfより)

】検討中・・・縄文時代から弥生時代への移行(前5世紀~後3世紀)という衝撃を背景に生まれた生駒の神話(ナガスネヒコ神話・国譲り神話)は、 海路を経て伝えられた仏陀の教えである縁起の法の影響を受けている、更には、縁起の法を神話化したものとも考えられます。教団仏教が日本に正式にもたらされたのは日本書紀によれば552年ですが、 仏陀が生きたのは紀元前5世紀前後ですから、縄文時代から弥生時代への移行期に縁起の法が日本に伝わっていたということはあり得ることです

  トミのナガスネヒコの記事には、ここには「ナーガはインドで古くから信仰されていた蛇神」とあることから、古代の日本には「竜神=ナーガ(蛇神)」信仰があったと推測され、ナガスネヒコのナガの由来をそこに求めることもできる。「ナーガ(ナガ)=蛇神」については、トビ・トミ=ナガ=蛇神ご参照。>と記されているように、はるか昔のインドの信仰が日本に伝えられていたこともあり得るということは、縁起の法もそうだったということを支持しています。

 生駒の神話が縁起の法の影響のもとに生まれた、更には、それを神話化したものとすると、生駒の神話に流れる非戦・避戦の精神は縁起の法と同調する精神といえます。

【4】参考

 〇ウイルスとの共存・共生/ウイルスと縁起の法ポストコロナ社会の構築 

 〇誰かに依存していることを忘れるほどに依存できている状態が自立である.jpg

 

 

 

 

 

 

 

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