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ポストコロナ社会の構築 

               本主義の変革に戻る  ウイルス/新型コロナ対策                              「ポストコロナ社会の構築」は大分岐時代を切り開く思想課題のプラットフォームに参加しています。

   ポスト・コロナ社会のキーワードは、脱成長コミュニズム/ 縁起の法「ピュシス」と「ロゴス」/ 里山/ 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」

◎〈安全すぎることは、心を遠のかせてしまう。〉・・・・・オンライン面接にあれこれ工夫をこらすも、触られる、殴られるといった暴力の可能性が免除された対面では、不安や不穏なもののやりとりが生まれない・・・・・まみれること、身を晒(さら)すことがなくなれば「相手を支える力」もまた減衰する・・・・・。<この記事ミラーより/太字は引用者による

◎・・・・・平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」民俗学者の柳田国男が著書「遠野物語」序文に記した。111年前、350部だけ自費出版された岩手県遠野地方の不思議な逸話や言い伝えの小さな聞き書き集である。国内の山村で遠野よりさらに物深い所には、まだ無数の山神山人の伝説があるに違いない。どうか多くの人がこれを語って「平地人」を震え上がらせてほしい、というのだ。平地人とは山人と対照をなす都会人か。明治の終わり、すでに柳田は、近代化や都市化が社会や意識のあり方を脅かすと危機感を抱いた。脅威は精神文化にとどまらない。身体や命にも及ぶ。死者が世界中で約5000万人、日本だけで約40万人とされる「スペイン風邪」(インフルエンザ)が猛威を振るったのは、同書刊行の8年後である。ウイルスは農耕牧畜に始まる開発、人の移動、都市集住といった文明化によって人が自然から招き寄せる。であれば、パンデミックを経験した平地人は、経済の際限なき拡張、自らの欲望と悦楽が災厄をもたらした事実に戦慄すべきだろう。だが、歴史をひもとくと、どうもそうはならない。人々は感染爆発の最盛期には恐れ、考え、省みても、流行が過ぎればきれいに忘れた。今回の新型コロナウイルス感染症流行を機に思い出すまで、100年前、スペイン風邪の死者がはるかに多かった史実はほとんど知られていなかった・・・・・震災や戦災と違って風景が変わらず日常に戻ってしまうから・・・・・忘却も人の生存に不可欠な能力とはいえ・・・・・恐ろしい。<この記事ミラーより/太字は引用者による

◎<ポストコロナ社会がファシズム社会となる危険性>・・・・・私たちは、コロナにも風邪にもかかりたくない。できれば身内にもうつしたくない。だからマスクもするし手洗いもする。その程度の倫理はある・・・・・でも、そうした個人の判断や倫理に基づく行動が、何か公的な意味があるように思わせること、これが、「暮らしのファシズム」・・・・・断捨離をする、家庭菜園に挑戦する、マスクを手作りする……。外出がままならない中、そうやって個々人が、自宅での時間を楽しもうとすることは自由だ。だが、公権力が生活に介入し、そうした暮らし方を一つのモデルとして積極的に示すことは・・・・・私たちの中にある「個」を崩す最初のきっかけになる・・・・・マスクを着けることや生活を変化させることが個人の倫理ではなく公共的な意味合いを持った先には、道徳心や国を愛する心の強制が地続きで存在する。私たちは自分の行いが正しく公的なものだと思うと、公の体現者として、簡単に他人にその公を押しつける側についてしまう。それが一番危ない・・・・・翼賛体制というのは、最初は「楽しくやりましょう」と呼びかけながら、だんだんと強制性を帯びていく・・・・・人々は自分で自分を縛る同調圧力を自ら作り上げてしまう。そして、自分が作った同調圧力に逆らえなくなっていく・・・・・だから必要なのは・・・・・コロナ禍が終わった時に、マスク生活に順化した自分自身をきちんと捨てられるか・・・・・だ・・・・・私たちはマスクを着けることでのみ込んだ言葉、誰かに必要以上に強要してしまった「正しさ」を記憶し、作り変えられた暮らしをマスクとともに捨て去ることができるだろうか。コロナ後の社会が、「個」が失われた社会とならないために。<「コロナ、日常に潜むファシズムミラーより/太字は引用者による

藤原辰史さんの論考

  パンデミックを生きる指針ミラー新型コロナ「同調圧力」に警戒必要ミラー「人文知」軽視の政権は失敗するミラーパンデミックから紡ぐ思考ミラーコロナブルーを乗り越える本『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』ミラー

◎ ポスト・コロナ時代こそ 成熟社会にかじを切れミラー

ワンヘルスの目指す世界

コロナで変わる世界 「世界共和国」の契機に.jpg全文ミラー

◎新しい思想家の提唱する「コロナ以後の世界」、行き詰った資本主義の向こう側にあるべき社会像を探る試みが注目される(ご参照

新型コロナ 世界を代表する知識人が答える.pdf

◎資本主義を正す

  ☆倫理資本主義(個々の企業が、他者や環境との関係の中で何が善であるかを常に問い、利益のみを追求するのではなく、「道徳的に良いか」を基準に事業の是非を判断する経済システム)・・・ご参照(コロナ禍の世界 道徳を規準に)ミラー

  ☆階級構造の現実を知る.pdf

  ☆コロナと資本主義 配分のゆがみ正す機会にミラー

新型コロナウイルス発生・伝播の原因と指摘されているのが「自然破壊」 と「都市化(過密化)」。ポストコロナ社会構築の流れは、脱「自然破壊・都市化(過密化)」となっていくでしょう。そんな中で、世界に奈良県生駒市の存在感を示していけるのが生駒市「神話と里山の都市」構想 です。この記事この記事の関連記事この記事が参考にした記事ミラー)を読んでも、里山保全活用(=自然を破壊するのではなく活用していく)の大切さがわかります。以上の文章内容はこの記事.jpgによって支持されています。また、下に掲載の文章も上記の構想を支持しています。

  ☆ムハマド・ユヌス「経済を再構築しよう」(ソーシャルビジネスの提案).jpg・・・里山保全型ビジネスは、ソーシャルビジネスのモデル事業の1つです。

  ☆「自給率」が問われる時代へ.pdf

  ☆<・・・は省略部分>「・・・ウイルスはそれぞれの国の弱点を突く。日本で言えば、・・・37%という低い食料自給率。自動車を売ることを優先して農業を隅へ押しやった。他国からの供給が止まれば我々はあっさり飢える。・・・我々は別の時代に入ろうとしている。そこは荒野であるらしい。ホモ・サピエンスは本能(予(あらかじ)めの脳内プログラム、生得的行動)によってではなく、知力によって生きる道を選び、繁栄している。・・・文化によって自然を改造して自分たちに都合がいいように仕立て直した。それが行きすぎて、温暖化を招き、遺伝子を壊す放射性物質を撒(ま)き散らし、多くの種を絶滅に追い込んでいる。」<全文.pdf

  ☆「新興感染症の・・・・・根本原因は、人間による環境破壊・・・・・棲み処を奪われたウイルスたちが新たなる宿主を求めて侵略者である人間にとりつき、新天地である人間社会で感染を拡大している・・・・・人間社会を守るためのウイルスや外来種との闘いには終わりはありません。・・・・・終わりなき闘いをちょっとでも減らしたいと思うなら、彼らの本来の領域である自然、生態系、生物多様性をこれ以上破壊してはならないのです。」<全文.pdf

  ☆「コロナ禍を機に、人間活動が地球環境に与えている負荷について、もっと深く考えたい」<全文.pdf

  ☆「ウイルスが蔓延する時代にどんな社会が強靭な抵抗力をもつのか。まずは自然破壊の手を緩めることだ。」「封鎖が長引けば、食料自給率が4割を切る日本は持ちこたえられない。各地域で自給率を高、ストックを増やす努力が必要だ。」<全文

  ☆「人間が未開の地にズカズカと入り込み、自然破壊を繰り返したことにより、闇に隠れていた未知のウイルスを掘り出したといえる。」<全文ミラー

  ☆「近年のウイルス性の感染症は、自然破壊によって野生動物との接触を加速したことが原因である。更に自然資源の開発が続けば、深海や氷河の下に眠っている未知の微生物やウイルスを引きずり出してしまうかもしれない。開発の手を抑えても、地球温暖化は生物の動きを変え、新たな脅威をもたらす可能性がある。」<全文ミラー

  ☆「今、向き合うべきは戦後最大級の経済危機だ。ヒト、モノ、カネを局所的に集中し増幅させ続ける『高度資本主義』と、経済活動を支える再生産装置であった『都市型生活様式』からの迅速な転換が求められる。」<全文.pdf

  ☆海外依存はリスク 食の自給へ転換する時だミラー

  ☆「最近の論考でも、コロナ禍による食糧危機への警告が次々に発せられている。」<全文.pdf

  ☆「もともとウイルスは自然界の一部であり、これまでは自然界の中でほぼ制御されていた。だが人類が自然を破壊し、気候変動が進んだ結果、ウイルスが突然変異を起こし、動物を通じて人類に悪影響を与えていることも考えられる。いわば人類が自然界に勝手に侵入した報いが、人類に跳ね返ってきた形だ。この状況が続けば、同じようなウイルスをコントロールするのがさらに難しくなるのではないか。反対に人類が自然界への介入を控え、生態系などのバランスが崩れないよう配慮すれば、人々の健康を守ることにつながる。全文ミラー

  ☆地方分散へかじ切る時

◎<ポスト・フクシマの観点からは、過大なエネルギーを消費し原発の再稼働と新設を必要とするリニア新幹線プロジェクトは真っ先に見直されるべきものでありますが、ポスト・コロナの観点からもまた、リニアが一極集中をさらに助長しかねないものとして、真っ先に見直されるべきものであります。したがってリニア新幹線プロジェクトはその2重の意味で端的に「時代錯誤」として放棄されるべきものと言えるでしょう>という主張の根拠を説明した文

   コロナと旅とリニア中央新幹線・・・(上)ミラー (下)ミラー  再度リニア新幹線について、そしてポスト・コロナミラー

資料紹介・・・「東洋経済」特集 コロナ時代の新教養(20.8.8・15号)ミラー

 

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